コラム
中国拠点の数合わせ登用に潜むリスク
中国の事業環境の変化を受け、駐在員の数を減らす企業が増えています。その分、現地人材を経営層に登用しようという動きも顕在化しています。
ここで気をつけなければいけないのは、形優先・数合わせになっていないかということ。5年以内に何人以上の副総経理を出せとか、全事業拠点の何割に現地人材の経営層を置けとか……。数合わせで登用するひずみは、将来必ず出てきます。
「そうは言っても本社や役員の方針で頭数を揃えなきゃしょうがない」という場合、ぜひ「出口」もセットで検討してください。
小島のnoteをこちらに転載しています。
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大手を中心に経営層の現地化が進む
近未来の問題提起
今回は辛口。数合わせ登用に潜むリスクということで、近未来の日本企業に対する問題提起をしたいと思います。
今後の中国事業においては、大手企業を中心に経営層の現地化が進みます。これはほぼ確定した未来だと私は思っています。
具体的には、今まで現地社員は課長止まりだったのが、部長も出すようになる。部長止まりだった会社は副総経理まで、副総経理止まりだった会社は総経理まで出すようになる、ということです。
やや切り口は違いますが、2024年に中国の会社法が変わり、会社規模によっては従業員から董事または監事を出さなければならなくなったことも影響していくと思います。董事や監事まで現地化を迫られる時代になってきました。
経営層の現地化が進む背景事情
現地化が進む背景の一つは、中国の環境変化です。経済環境、景気動向、自社が属している市場の動向など、今後の予測が厳しくなっていて、このままでは維持できないとなれば、会社としても考えなくてはなりません。
二つ目は、社内における中国拠点の優先度が低下していることです。これまでは世界的に見ても中国は優先度が高い事業エリアだったけれど、事業環境の変化を含むさまざまな事情により、相対的に地位が落ちてきています。
こうなると、今までと同じ仕事、同じ人数の駐在員を現地に派遣すべきか、議論が起こります。他国に振り向けた方がいいのでは、みたいな話も出てきます。
駐在員を減らす時に役員から下りてくる鶴の一声はこんな感じです。
「202X年までに半数の拠点で現地から副総経理を出せ」
「製造・販売など現業の拠点は、総経理まで現地から登用せよ」
統括拠点や董事長職は本社で押さえるが、副総経理〜総経理まで現地の人材を登用する。方針自体は間違いではありません。適材適所ですから、適材がいれば適所につけていく。私も賛成です。
ただ、最初から「数ありき」で経営者を登用するという話なら異議を唱えたい。辛口に言うと、数合わせで登用した人に経営を任せていいんですかと問いたいです。
適正判断が歪められる
定量化していいもの、ダメなもの
私が数合わせ登用にモヤモヤする点は、まず適正判断が歪められることです。
少し遠回りしますが、評価制度を例に考えてみます。
評価制度を作成する際は、基準を定量化/数値化する必要があります。達成できたかどうか、達成レベルはどの程度かを判定して評価に反映するためです。
ただし、定量化/数値化する基準は「成果」に限ります。成果は「達成できたか」を判断できないと話にならないので、測定可能な内容にしなければなりません。ということは、数値化できるものを成果に設定すべきであり、成果は数字に落とすべきです。
しかし、能力やスキル、仕事内容、考え方や態度といった「最終的な業務・事業の成果以外のもの」を定量化/数値化すると、非常に厄介なことになります。例を見てみましょう。
①提案を○件以上
半期の提案数が何件以上なら評価5、何件以上何件未満は評価4……、何件未満は評価1、と設定したとします。すると、部下たちは提案の中身は関係なく、とにかく数を出すようになります。
この評価基準では、じっくり考えて一つか二つ、本当にいい提案を出してくれた人より、数打ちゃ当たる方式で中身のない提案を20件出してきた人を高く評価せざるを得ない。こうした事態は実際に日系企業でよく見かけます。
②流出ミス○回以内
ミス・不良が何回以内だったら評価5、何回以上何回未満は評価4……という設定もあります。そこで目をかけている部下がたまたま今期ちょっとミスをしてしまったとしましょう。評価基準に照らすと、どうしても評価が低くなる。でもすごく頑張っているし、上司としてはいい評価をつけてあげたい。で、何をするかというと、ミスの回数を改竄します。
これも中国だけでなく、世界のどこでも起き得る話。お互いに身内をかばい、ミスの報告が上がらなくなります。
③年内に制度導入
管理部門など数値化が難しい部門では、期限を評価基準に設定することがあります。会計システムの導入とか人事制度の改定などを、いつまでに達成したら評価5、というように設定する。これで起こるのは手段の目的化です。
生煮えでもとにかく形を作らないと評価されないわけですから、本当にその制度が必要か、自社にとって最適かなどは後回し。そんなことより早く導入しないと、となってしまいます。
仕組みが組織を歪める
このように、数値化する基準を誤ると、中身よりも形、質よりも量が優先され、問題の隠蔽が起きます。
数合わせの経営幹部登用は、誤った数値化そのものです。もちろん、適正に判断した結果、ちゃんと数が合ったならいいんです。でも、先に登用者の数を基準に設定してしまうと、現地はそれを達成するために中身よりも形、質よりも量を追うことになります。
本社に急かされれば、登用者を出さなきゃいけない立場の駐在員はやむなしです。まだ部長で様子を見たいような人や、以前なら課長止まりだった人を上げざるを得ない(数を合わせようとすると本当の合格者だけでは足りないことが多いです)。
さらに、問題が起きた時の扱いも難しくなります。この人にも管理不行き届きの責任があるんだけど、それを言ったら昇格候補に出せる人材がいなくなってしまう。となると、現地は「その問題には触れないでおこう」となります。これはすごく危うい事態だと思います。
組織への影響が最も大きいのは経営層
アドバイザー、コーディネーター……機能してる?
経営層は組織への影響が最も大きい存在です。私は組織の責任の9割はトップにあると思っています。現地社員を部長・課長に登用するのと、拠点トップ・No.2に登用するのは意味が違います。
影響力が大きくなりすぎないように、例えばライン長には現地社員を登用することにしたけど、代わりに赴任者が斜め上や横から牽制する、というような仕組みを入れる会社も多いです。組織の外のアドバイザーとかコーディネーター、顧問のような立ち位置ですね。
ちょっと意地悪な言い方ですが、これ、どこまで機能してますか。牽制役に評価権や査定権を持たせているのであれば、組織外とはいえ事実上の人事権があるので、牽制・抑制が効くでしょう。そうでなければ、結局は人事権を握っている人(ライン長)に絶対的な権力が生じます。
4~5年は大統領と同じ任期
一人が長期に権力を握るのはよくないということで、トップの任期を最長3〜5年に設定している会社もあると思います。
4〜5年というと、各国の大統領の任期と同じくらい。アメリカで4年、韓国で5年、フィリピンは6年です。では、この任期は大統領のカラーを出すのに十分な期間でしょうか。それとも、この程度の期間ではあまり影響はないでしょうか。
こう考えると、やはり4〜5年というのは長いです。特に中国のように変化の激しいところで4〜5年はかなり長い。「オレが新しいトップだ、指示に従え」と号令をかけて、こっちへ行け、あっちへ行けとやったら、3年もあれば社内はガラリと変わります。会社が将来を嘱望していた幹部たちがみんな追放されてしまったり、隅に追いやられてしまうのに十分な年数です。
こうした点を踏まえて、いま講じている施策で大丈夫か、トップの現地登用によって生じ得る副作用を本当に抑えられるのか、考えてほしいと思います。
課長まではある程度の枠に利点も
一つお断りしておくと、私は「現地登用は何でも反対」ではありません。課長あたりまでだったら、ある程度の枠を設けることにも利点があると思います(部長は数よりも適性で)。
組織が数百人を超え、さらに数千人、数万人という規模になってくると、経営者や日本側も、さすがに末端の従業員の顔と名前は一致しないでしょう。日常の業務も把握できないと思います。
そうすると、実質的な評価権を持つのは直属上司やその一つ上の管理職です。彼らの判断・差配で、上に進む人と留まる人が決まってしまう。ここで不公平な状況が発生する可能性があります。
経営層が求める人材像と、現場の評価権を持つ人たちの観点が食い違うことは大いにあり得ます。現場の思惑だけで、彼らに都合のいい部下、あるいは付け届けをするような人間ばかりが昇進していくのは避けたいですよね。
現場の管理職の牽制のために、何らかの強制的な枠を設けてアンフェアな状況を回避するのはいい策だと思います。これは現地拠点の管理に限らず、他の組織でも同様です。
ただし、「ある程度まで」に限ります。組織への影響力が大きいトップ級は別。言い訳なく全方位に責任を負う立場の人たちについては、査定して判定する側も、言い訳なく全方位に評価した上で、適性を見て登用すべきです。経営層のポジションにまで枠を設けていては、本当に適切な人材を登用することはできません。
評価と出口が機能するか
権力を握った後の対応難度
現地からトップを登用したとして、その後にどう評価するか、それから評価が基準に満たなかった時に、任期の途中で下りてもらう「出口」が機能するかも考えておく必要があります。
多数の拠点を持つ大企業などでは、過去に問題管理者・問題幹部と紛争になった経験があるところも多いと思います。私もそういうトラブルを大量に見てきましたが、同じ社員でも権力を握る前と握った後では対応難度がまったく違います。
政治家を見ていると、No.2や複数候補の一人だった時と、実際にトップに立った時とでは、オーラが全然違うと思いませんか。別人のように見えることもあります。権力を握ると人は強くなるんですね。
会社も同じです。ひとたびトップにつけてしまったら、その対応は問題幹部に手を焼いていたのとは比べものにならないほど難しくなります。会社としても腹を括り、何らかの代償を覚悟しなければ、毅然とした対応はできません。
結果、本当はすぐポジションから下りてもらわなければいけないのに、ここでも判断基準がブレて、「まあ、任期はあと2年だし、待つか」となってしまったりする。こうして組織は歪んでいきます。
そもそも、数合わせで登用した人の中には、適性がまだ足りない人、本当は上げてはいけない人たちが混じっている可能性が高いです。そういう人たちが権力を握ったら、事態が深刻化するのは想像に難くありません。この点でも、数合わせ登用は危ないと私は思っています。
マネジメント偏重の弊害
リーダーシップとマネジメント
マネジメント偏重の日本企業に顕著な弊害もあります。経営や組織運営には、リーダーシップとマネジメントの両輪が必要です。この二つはまさに両輪であり、片方では動きません。
リーダーシップとは「会社が進むべき方向・ビジョンを示して、メンバーを動機づける」こと。イマジネーションや感情に関わる領域であり右脳的です。一方、マネジメントは「確実に目的・目標に向けて進めるようPDCAを回す」こと。合理性や論理性が重要で、左脳的です。
例えば、「マッターホルン登山にチャレンジしよう!」と呼びかけ、メンバーに意義や価値を伝えて、「いいですね!」とその気にさせるのはリーダーシップ。
どれくらいの期間をかけて、何を準備しなければいけないのか、冷静に想定し、体力や技術を身につける方法を考え、装備やルートの情報を収集し、コンディションを見ながら論理的・理性的に判断していく、これがマネジメントです。
数合わせ登用はマネジメント思考
リーダーシップとマネジメントの観点から、数合わせ登用を考えてみます。コストの問題やさまざまなリスクがあり、中国の優先度も低下している→今と同じ数の赴任者は送れない→組織の穴を誰かが埋めなければならない→現地から○名登用しよう……というのは、完全にマネジメントの発想です。
リーダーシップ的な思考では、「会社がどこに向かっていくのか」が起点になります。そのために必要なトップはどんな人か、社内に当てはまる候補者はいないか、いないならどこを探すか、あるいは当てはまるように育成できそうな者はいないか、どうやって育成していくか、という順で発想します。
人数より先に会社の方向性に合致しているかが問われるため、リーダーシップが機能している会社では数合わせの経営者登用は起きにくいです。逆に、マネジメント的な発想に偏っている組織では、数値・データだけを見て数合わせに走ることになります。
今日のひと言
数合わせで経営できると思う人は…
最後は辛口に。現地を数合わせで経営できると思う人は、経営に対する理解がその程度なんじゃないかなと思います。本当にそれで経営が回るのか、私はどうしてもモヤモヤしてしまうのです。
この記事を書いた人

多文化混成組織の支援家、Dao and Crew 船長。
事業環境のシビアさでは「世界最高峰」と言われる中国で、日系企業のリスク管理や解決困難な問題対応を 15 年以上手がけ、現地で「野戦病院」「駆け込み寺」と称される。国籍・言葉・個性のバラバラなメンバーが集まるチームは強いし楽しい!を国内外で伝える日々。